松田聖子 Classic 聖子ちゃん!白書

松田聖子さんの原点 “聖子ちゃんの季節” にスポットを当てました!

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松田聖子の歩み(初期)①

聖子ちゃんの歩み年表
 
1980年 18歳
01月 ラジオ番組『パンチ・パンチ・パンチ』のパンチ・ガールとしてTVより一足お先に聖子ちゃんのラジオでのレギュラー番組が始まりました。
02月 天然由来ハーブ・シャンプー(ティモテ)とのCM戦略が練られていた中山圭以子さんのデビュー曲が、この輸入商品の一部の成分に認可の下りていないものが含まれていることが後になって分かり、輸入が延期になってしまうという大きなトラブルに見舞われてしまいました。 そして、最もあてにしていたCMとのタイアップが御破算になりいきなり苦しい立場に追い込まれました。 そうなると、CMが頻繁にTVで流れて大々的に売り出す予定の計画が一転、彼女単独でのレコード・デビューという地味なものになってしまいました。
その結果、
残念ながらレコード・セールスは伸び悩み、不振な結果となりました。
この新人売出し戦略の大失敗を受け、事務所側は、中山圭以子さんに後輩の聖子ちゃんの同じ年のデビューの了解を打診しました。 デビューに向けて一緒に歌のレッスンを積んで仲良くなっていた同じ夢を持つ女の子(聖子ちゃん)のこと、あえて反対はしませんでした。 すると、その答えを待っていたかのように(聖子ちゃんは、ソニー期待の新人歌手候補でした)早くも2か月後の4月1日にデビューさせることが決まりました。
中山圭以子さんが、人が良かったのと聖子ちゃんの人柄が圭以子さんに好感をもたれたことも功を奏して、芸能事務所との大変な障害となる約束が交わされていたにも拘らず最小限のタイム・ラグだけで聖子ちゃんは、歌手デビューができるという幸運をつかみました。
ここでは、中山さんのデビュー戦略の思わぬ失敗と、中山さんが意地の悪い人ではなく自分の特権である事務所との当然の権利と言える約束を守らせて聖子ちゃんのデビューを断固阻止しなかったということが大きな幸運だったと言えます。
このように聖子ちゃんは、この後も様々な幸運に恵まれて行きます。
02月 上記の結果から、やはり、同じ事務所の先輩の香坂みゆきさんが受ける予定になっていたCMのオーディションを急遽聖子ちゃんに受けさせることが決まりました。
それが、資生堂-ヤング化粧品『エクボ洗顔フォーム』のCMモデルのオーディションでした。 聖子ちゃん自身には、エクボが無かったことからモデルについては落ちてしまいました。 それでもCMソングのテストには合格してこの曲を歌えることが決まりました。
香坂みゆきさんには、多少のエクボがありましたので、歌とCMへの出演と両方を狙っていたのでしょう。 CMタイアップが聖子ちゃんに回されたというのもこれもまた幸運でしたね。 大型新人候補の中山さんのデビューがこけてしまったので、聖子ちゃんにかけてみようという思惑が働いた結果かもしれません。
その聖子ちゃんのデビュー曲、発表当時は、『ハイヌーンは熱く』というタイトルだったのですがその日の内に『裸足の季節』という今のタイトルに改められました。
 聖子ちゃんの芸名については、“新田明子”という名前が姓名判断的に優れていてどうかという提案がありましたが、あまりパッとした名前ではなかったので、もう一つの候補の名前“松田聖子”に決まりました。
この名前の由来は、姓名判断師の沖絋子さんによる命名ですが、サンミュージックでは、植物を冠した名前が成功している。(松) また、響きの良さ・憶えやすさから大企業の2つ、MAZDA(マツダ)とSEIKO(セイコー)を組み合わせて知名度と親しみやすさを狙ったと言われています。
03月 NHK歌謡番組、レッツゴーヤングのレギュラー“サンデーズ”のメンバー・オーディションを受けて合格しレギュラーとなりました。
 トシちゃんこと田原俊彦や川崎麻世、浜田朱里などと共にあたかも同級生のごとく番組を通して密接に過ごすことになります。 これによって1年目のややもすれば心細いアイドル・ライフを楽しく駆け抜けることができました。 トシちゃんという強力なライバルや気安いアイドル仲間がそばにいたという事は聖子ちゃんにとってどれだけ心の支えになって心強かったことでしょう。 これもまた、大きな幸運でした。
 
・顔の見えない大型新人がデビュー
このころのアイドルは、「スター誕生」… 山口百恵、桜田淳子、石野真子、ピンクレディーなどや「スクールメイツ」… キャンディーズ、太田裕美などのように選ばれて、スターの階段を上がっていくところがお茶の間から見えていた場合が多い時代でした。
そんな中で、聖子ちゃんは、スカウトによるいわゆる「パッと出」の歌手デビューでした。 しかも、CMとタイアップはできたもののCMソングだけで、本人の姿はTV画面に映りませんでしたから、まさしく「顔の見えない大型新人」です。
04月01日 デビュー・シングル『裸足の季節』発売
このデビュー曲は、御存知、資生堂 ヤング化粧品「エクボ洗顔フォーム」のCMソングでもありました。
日本橋三越屋上に於いて行われたデビュー曲発表会には約2500人が集まりました。 さすがに専属レコード会社のCBSソニーがミス・ソニーとして大々的に聖子ちゃんを応援して売り出しただけのことがあり、それなりの話題が集まった結果の快挙だったと思われます。
とにかく声がいいのと、CMで繰り返し流され耳に残る曲だったことから、TVへの露出度は極めて低かったものの約30万枚のスマッシュ・ヒットとなりました。
ここで、
前出の先輩新人、中山圭以子さんとすっかり差がついてしまいました。
 そして、彼女を一押しのアイドル候補から外して、聖子ちゃんにサンミュージックの全勢力を傾注することに方針が転換されました。 これも大きな幸運です。
 
・聖子ちゃんの日本の妖精時代の幕開け
07月01日 聖子ちゃん運命の1曲、セカンド・シングル『青い珊瑚礁』を発売。
翌年の甲子園大会 春の選抜高校野球の入場行進曲にも選ばれる。
この曲ほど、聖子ちゃんの当時のパフォーマンス(歌の魅力)を最大限に発揮できる曲はなかったのではないでしょうか。 まるで、ベートーベンの交響曲第9番(通称第九)の第4楽章『歓喜の歌』のコンセプト。「それではない、もっと素晴らしい最高の音楽を奏でようではないか。」として歓喜がほとばしるかのように歌われる合唱の部分のような最高の音楽の一つという感じではないでしょうか。 それ程『青い珊瑚礁』は衝撃的でパワー満点の楽曲でした。 あの伸びやかで爽やかな少女的歌声、そこに当時はほとんど聞いたこともないキュートなしゃくり上げが絶妙にちりばめられていて、一度聴いたら忘れようのないなんとも迫力のある印象的な曲となりました。 今でも色褪せることのない新鮮な魅力を放っている名曲です。
そして、タイトルの『青い珊瑚礁』。 デビュー曲に続いて海にスポットが当てられました。 スリムで、明るく爽やかな聖子ちゃん。 その伸びやかなすがすがしい歌声は、どこまでも広がる青く澄み渡った海をプロデューサーの若松さんに、そして、作詞の三浦徳子さんや作曲の小田雄一郎さんに連想させたのかもしれません。 さらに、当時14歳の話題のアメリカ人美少女、ブルック・シールズ主演でその年に封切られた映画のタイトルもまた、『青い珊瑚礁』(邦題)でした。
これは、タイトルについては、プロデューサーの若松宗雄さんが決めていたので、同じタイトルをぶつけることにより映画で描き出される青い珊瑚礁での具体的なシーンなどがイメージされ、この曲の印象を深める相乗効果を狙ったのかもしれません。
極め付きは、グリコ・アイスクリーム「ヨーレル」のCMとのタイアップを実現し本人の出演も叶ったことです。
 この曲がCMのバックに爽やかに流れる中、聖子ちゃんの姿も大きく映し出されお茶の間に頻繁にオンエアされることになりました。
このようにこの曲のインパクトを強める効果が二重にも三重にも発揮されていたわけです。 まさに幸運の女神が聖子ちゃんに微笑んだ瞬間でした。
それらの甲斐があって、この曲は、レコード会社調べで、101万枚のミリオン・セラーの大ヒットとなりました。
聖子ちゃんは、シングル2枚目にして、日本を代表するトップ・アイドルへと躍り出たわけです。 そして、同時に日本の妖精時代がスタートしました。
このころの聖子ちゃんは、まさに日本の妖精だったと思います。 あのきれいな歯並びにさりげなくかわいく覗く両八重歯は、より一層妖精を彷彿とさせます。 何しろ、あの国民アイドル時代の聖子ちゃんが歌って表現したパフォーマンスは世界にも類を見ないほどのパーフェクト・クォリティー(清純、可憐、抜群の歌唱力、人気、知名度)ですから、ただのアイドルにとどまらずもはや日本の妖精と言えるでしょう。
07月27日 よみうりグランド、グリーンステージに於いて「さわやかコンサート」が開かれる。
8,000人ものファンを動員した事実上の聖子ちゃん初めてのコンサートです。
 お客さんの投げ込んだ紙テープが腰の高さほども降り積もったというほどの聖子ちゃんにとっても感激と共に忘れられない初コンサートです。
08月01日 ファースト・アルバム『SQUALL』発売。
このアルバムの収録曲は、すべて海に関連のある曲ばかりで、聖子ちゃんと海との結びつきをぐっと身近にした立役者という感じのアルバムです。 さらに、サンバ、ロック、ブルース、センチメンタル歌謡、ラグジュアリー・ナンバーなど音楽ジャンルがバラエティーに富んでいて聖子ちゃんの実力と可能性を大いにアピールした素晴らしいファースト・アルバムと言えます。 当時のアイドルのオリジナル・アルバムではとても珍しい、ヒット・チャートの2位を獲得するほどの目覚ましいヒット(約55万枚)を記録しました。 
08月14日 初めて当時の人気歌謡番組TBSザ・ベストテンに8位でBEST10入り。 なんと航空会社に頼み込むことによって放送時間にちょうど合うように、一般客も乗った旅客機を上空で旋回を繰り返してもらうという離れ業が実施されました。 そんなウルトラCを使ってまで、放映時間には、ぴったりと飛行機のタラップから本人が降りてくるという今では考えられないような演出が行われるほどの期待の新人アイドルでした。
09月11日 ザ・ベストテンで『青い珊瑚礁』が初の第1位に輝く。 サプライズで、お父さん、お母さんからお祝いの電話や中継でのメッセージを受け、ついには感無量となり泣き出してしまいました。 
09月30日 日本青年館「First Kiss」コンサート
10月01日 『風は秋色/Eighteen』発売
聖子ちゃん初の両A面レコード。 トップ・アイドルとなった聖子ちゃんをフィーチャーした典型的なアイドル・ソング「Eighteen」との組み合わせになりました。 レコード・セールスも最高の107万枚となり、押しも押されもしない日本歌謡界きってのトップ・アイドルへと上り詰めた瞬間でもありました。
10月05日 大阪厚生年金中ホール「First Kiss」コンサート
10月06日~ 文化放送「ピンクのスニーカー」がスタート。 このラジオ番組で初の単独レギュラー・パーソナリティを務めました。
10月19日 中野サンプラザ「First Kiss」コンサート ※追加公演
12月01日 セカンド・オリジナル・アルバム『North Wind』発売。
この『North Wind』は、初期の名曲の宝石箱と言えるような優れた内容のオリジナル・アルバムです。 ヒット・チャートでも待望の1位を獲得。
聖子ちゃんのシンボル・ソングであり、珠玉の名曲でもある『Only My Love』はこのアルバムの作品です。
12月31日 日本レコード大賞/新人賞受賞 トシちゃんこと田原俊彦と最優秀新人賞を争い、惜しくも逃す。 しかし、現在の状況から振り返れば、もちろん最優秀新人賞は聖子ちゃんの方がふさわしかったと言えるでしょう。
12月31日 NHK紅白歌合戦に『青い珊瑚礁』で初出場。
 
 
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[ 2012年03月02日 23:02 ] カテゴリ:松田聖子の歩み・初期 | TB(0) | CM(0)
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Chanchiki20と申します。 どうぞよろしくお願いします。

 趣味は、ネットサーフィン、音楽鑑賞、DVD鑑賞、読書、カラオケなどです。
 
 音楽は、古い曲が中心ですが、(ビートルズ、キャンディーズ、松田聖子等)、しいて最近の曲と言えば、ZARD、小柳ゆき、倉木麻衣などの曲を聴いています。

 映画は、ジャッキー・チェンや、007シリーズなどのアクション物が好きでした。 最近のものでは洋画や邦画の話題作をチェックしてちょくちょく観に行っています。

 読書は、小説(歴史、現代、未来)、エッセイ、実用書などいろいろ読みます。

 もっか、最もはまっているのは、松田聖子さんに関わるストーリーを展開することです。

 いつか長編小説を書き上げたいと思っています。

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