松田聖子 Classic 聖子ちゃん!白書

松田聖子さんの原点 “聖子ちゃんの季節” にスポットを当てました!

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松田聖子の歩み(初期)

聖子ちゃんの歩み年表(一部観念的)
 
・歌が好きなごく普通の女の子
1975年 13歳 中学生になって次第に女心が芽生えてきた聖子ちゃんは、郷ひろみに憧れるようになる。
 
1977年 15歳
04月01日 信愛女学院高等部入学
05月 阿蘇山で行なわれた高校の新入生研修合宿で聖子は学年代表の「女神」に選ばれる。 やはり、当時から整ったルックスが目を引いていたのでしょう。
 
1978年 16歳
02月 高校1年の3学期の予選会において友人と一緒にUFOを歌って踊り喝采を浴びる。 人々の前で歌ってみたいという気持ちが芽生えた時期だったのかもしれません。
 
・歌手になろうなんてことは思ってもみなかった
03月 たまたま友人たちと立ち寄ったそば屋さんで見かけた雑誌の広告から、優勝賞品が、アメリカ・ロサンゼルス旅行(ディズニー・ランド)であったりとか、全国大会の司会者が憧れの郷ひろみであったということもきっかけになって軽い気持ちでミスセブンティーン(ラブアタックアイドル)九州予選大会(福岡市民会館)(集英社・CBSソニー主宰)に友人2人とともにに3人で応募した。
そして、歌唱テープ審査には、桜田淳子の「きまぐれビーナス」を吹き込んだテープを郵送。
04月01日 CBSソニーからテープ審査合格の通知が届き九州大会の出場が決定。 友人2人は残念ながら不合格。
04月07日 福岡市・市民会館でミスセブンティーン九州予選大会が開催され出場すると、あれよあれよという間に最終審査まで残り、約4,400人の中から見事に優勝をさらってしまいました。 九州地区の代表です。 お母さんには、好きな歌手のコンサートだからと偽って出場したので、なんと娘の聖子ちゃんが舞台に上がっているのを目にした上に優勝までしてしまったことに、びっくり仰天したのは言うまでもありませんでした。 優勝記念のトロフィーや花束を家に持ち帰って父親に気づかれないように隠すのには一苦労したそうです。
 
・オーディション合格を機に歌手になりたいという希望がついに芽生える。
そして、憧れの郷ひろみが司会を務める全国大会に出場するためには父親にも隠し通すわけにはいかなかったので、意を決して打ち明けてお願いしたものの、厳格でお堅い公務員の父親にはとても許してなぞもらえませんでした。 九州予選大会優勝を隠すときに協力してもらった母親からも本選出場については猛反対されてしまいました。 極め付きは学校から出場不許可を言い渡されてしまったので、さすがに本選出場については断念しました。
06月 九州地区の本選辞退者とはどのような娘だったのだろうとCBSソニーの若松宗雄ディレクターが九州予選のテープ(桜田淳子の『気まぐれビーナス』)を聞いたところ、「この声なら間違いなく売れる」と聖子ちゃんの歌の素質を見抜き歌手としてデビューさせることを決意した。
歌手としてスカウトする為にさっそく福岡県久留米市の聖子ちゃんの実家を訪れ、歌手へのデビューを両親に懇願しましたが、父親の猛反対にあい、その日は仕方なく帰ることになりました。
その後も何度となく訪れては話し合いを持ったもののほとんど進展がなく、月日は空しく過ぎて行くばかりでした。、
それでも聖子ちゃんは若松さんと手紙で連絡を取り合い、自分が歌手になりたいという熱意を伝え続けました。
 
1979年 17歳
02月 聖子ちゃんは、ようやく父親からの「1年で芽が出なかったらすぐに帰ってくること」という条件を飲むという話し合いを行ったところ、なんとか説得にこぎつけられて、歌手になる許しが貰えました。
聖子ちゃんは、喜び勇んでCBSソニーの若松宗雄ディレクターに連絡を取り、念願の歌手になることができるという、嬉しい返事をしました。
若松さんが初めて聖子ちゃんの自宅を訪れてから約8ヶ月後のことでした。
03月 上京して、若松宗雄さんと共に業界のリーダー渡辺プロダクションに所属を依頼しに行ったところ、水着審査で、O脚のアイドルはうちでは要らないと断られてしまいました。 脚の見た目だけで断るとは、業界でのガリバー的な地位にあぐらをかいてその人の本質を見ようとしなかった結果の判定だったのでしょう。
聖子ちゃんのその後の活躍にさぞや後から悔しがったことでしょう。
04月~ 若松ディレクターからの指示を受け、福岡市の平尾昌晃音楽学院に週2回通い、歌のレッスンを開始。
06月 今度は、新進気鋭の芸能事務所サンミュージックの面接を受けました。
相澤社長らの前で3曲を歌い、受け入れOKで合格の返事を貰いました。 ただ、上京は高校を卒業してからという話になりました。 実は、これには事情がありました。
06月30日 聖子ちゃんは急遽上京し、サンミュージックの相澤社長の自宅を訪れ、1日でも早く歌手になりたいという強い決意を伝えた。
07月01日 サンミュージックと契約
07月02日 福岡県久留米市の信愛女学院にて転校手続きを行う。クラスで聖子ちゃんとのお別れ会が開かれた。 1年後にこの同窓生が国民的トップ・アイドルになるなんて事をだれが想像できたでしょう。 聖子ちゃんが出場を辞退したミス・セブンティーン・コンテスト全国大会でグランプリをとった“大滝裕子”さんが、ほとんど知名度のないアイドルで終わったことを見ても、トップ・アイドルになるのは至難の業ということが分かります。 クラス・メイト達はブレイクした聖子ちゃんにさぞや驚いたでしょうね。
07月03日 東京・堀越学園高校へ編入手続きを行う。
07月 サンミュージックの3歳年下の先輩・中山圭以子さんとの歌とダンスのレッスンに加わり、すぐに2人は仲良しになりました。 中山圭以子さんは、実は、もう一人のサンミュージックの大型新人アイドル候補でした。
10月 日テレ連続ドラマに出演が決定
11月 そのドラマ『おだいじに』の撮影開始、松田聖子の芸名兼、役名が決定しました。
11月20日 日刊スポーツ新聞に初めて「歌わない歌手がデビュー」として紹介されました。
聖子ちゃんが、すぐに歌手としてデビューできなかった理由は、前述の中山圭以子さんとサンミュージックが取り交わした約束による制約あった為です。
・一つ、中山圭以子さんのメジャー・デビュー時には、事務所の総力を挙げてバックアップすること。
・一つ、そのデビューから2年間は別の新人歌手をデビューさせないこと。
というものでした。
中山圭以子さんのデビューはその翌年(1980年)の2月に決まっていました。
これでは、聖子ちゃんが先に歌手デビューするなんてことはできない訳です。
12月05日 日テレ『おだいじに』放映開始
 
 
 
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[ 2012年03月02日 23:03 ] カテゴリ:松田聖子の歩み・初期 | TB(0) | CM(0)
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Chanchiki20と申します。 どうぞよろしくお願いします。

 趣味は、ネットサーフィン、音楽鑑賞、DVD鑑賞、読書、カラオケなどです。
 
 音楽は、古い曲が中心ですが、(ビートルズ、キャンディーズ、松田聖子等)、しいて最近の曲と言えば、ZARD、小柳ゆき、倉木麻衣などの曲を聴いています。

 映画は、ジャッキー・チェンや、007シリーズなどのアクション物が好きでした。 最近のものでは洋画や邦画の話題作をチェックしてちょくちょく観に行っています。

 読書は、小説(歴史、現代、未来)、エッセイ、実用書などいろいろ読みます。

 もっか、最もはまっているのは、松田聖子さんに関わるストーリーを展開することです。

 いつか長編小説を書き上げたいと思っています。

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